カナダでメディカルスクール進学を目指す大学生日記。毒クリスチャンですが、実はあつくるしいほどの信仰もってます。羊飼いというよりは漁師です。


第一テモテ5章
3 やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。

4 しかし、もし、やもめに子どもか孫かがいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。

5 ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、

6 自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。

7 彼女たちがそしりを受けることのないように、これらのことを命じなさい。

8 もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。

9 やもめとして名簿に載せるのは、六十歳未満の人でなく、ひとりの夫の妻であった人で、

10 良い行ないによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、すべての良いわざに務め励んだ人としなさい。

11 若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、

12 初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。

13 そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。

14 ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。

15 というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。

16 もし信者である婦人の身内にやもめがいたら、その人がそのやもめを助け、教会には負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会はほんとうのやもめを助けることができます。

17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。

18 聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。

19 長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。

20 罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。

21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行ないなさい。

22 また、だれにでも軽々しく按手をしてはいけません。また、他人の罪にかかわりを持ってはいけません。自分を清く保ちなさい。

23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。

24 ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。

25 同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。
【2010/01/16 02:45】 こころのはなし | トラックバック(0) | コメント(0) |
『公園デビュー』
北陸の片田舎に向かう各駅停車の電車の中から外を眺めると、外は雪でした。

まだ3歳の娘を連れて、実家のあるあの地へ向かうのは何年振りでしょう。
高校を卒業してから地元を離れ、あこがれの都会へ就職口を探してからは一度もこの地へ帰ることはありませんでした。田舎者だった私はみごとに「都会色」に染まってしまい、自分自身を忘れてしまうほどに遊びほうけてしまいました。

この娘の父親も、正直なところわからないのです。
シングルマザーになる、と実家の両親に報告してからは、勘当されたも同然で、頼るすべを失ってしまっていました。

しかし、現実的には仕事と育児の両立は都会ではとても難しいものでした。子供が本当に小さいころは、1日中でも付き添っていられましたが、最近は自分で動けるようになってきましたので余計に目が話せません。友人と呼べる人もいなかったですし、保育園や託児所には預けられず、どうしたものか…と悩んでいたところ、両親が帰っておいで、と声をかけてくれました。

私が生まれ育った地ではありましたが、その地の様子は数年でまったく違って見えました。
私自身が変わったからかもしれません。

仕事がなかなか見つからなかったので、できるだけ子供と一緒に時間を過ごそうと思い、昼間は公園へ出向くことにしました。何人かのお母さんたちがすでグループになっており、娘と同年代のお友達がたくさんいましたがなかなか輪に入っていくことが出来ませんでした。娘は引っ込み思案なところがあるので、自分からお友達に話しかけるのが難しいようでした。

そんななかで、たまきさんというお母さんが声をかけてくださいました。たまきさんにも、5歳になる娘さんと、その妹さんがおられました。不思議なことに、その妹さんが私の娘にとてもそっくりで、びっくりしてしまいました。お姉ちゃんのほうもとても親切で、喜んでうちの娘と一緒に遊んでくれました。

「最近引っ越してこられたんですか?」
たまきさんは優しく私に話しかけてくださいました。
「えぇ、実家のほうに帰ってきてるんです。子供のお世話と仕事の両立が大変で…両親に手伝ってもらえたらなっておもってるんですよ。」
「それはよかったですね〜うちなんて、旦那と二人ですからましですよ…」

たまきさんはとても親切な方で、それからもちょくちょく連絡を取るようになりました。公園でも話しかけてくださるのはたまきさんだけでしたので、私の心の支え…といっては大げさですが、本当に信頼できる親友になりました。

ある日の午後、いつものように公園に出向くとたまきさんが笑顔で迎えてくださいました。
軽い挨拶をして、ベンチに腰掛けると、お砂場で遊んでいるたまきさんの娘さんたちが目に入りました。

お砂場で、おねえちゃんが妹のくちもとにむりやり砂を押し込めようとしていました。
おねえちゃんは笑っています。
たまきさんも、その様子を見て何も言いません。

私は一瞬、ショックでなにも言えなくなってしまいました。
たまきさんの方を見ても、にこにこほほえんでいるだけです。

どうして注意しないの!?あれは虐待じゃない!

そう思って砂場へ向かおうとした瞬間、たまきさんのところのお姉ちゃんが、私の娘をお砂場に誘いました。

そんなの絶対にだめ!

失礼かと思いましたが、その日はそのまま家に帰りました。
せっかくできた友達だったのに…娘にとっても、いい友達になれると思っていたのに…もしかしたらもう、たまきさんとは関わらないほうが良いかもしれないと思いました。
よくある話かもしれませんが、たまきさんにとっては上の子が特別かわいくて、ああいう事態を見過ごしているのかもしれません。自分だったら絶対に考えられないけれど…。

公園から足を遠ざけるようになって、たまきさんは何度か電話で連絡してくださいました。
あまりにも何度も電話していただいたし、たまきさんのことを嫌いになったわけでもないので、私は久しぶりに公園にでかけよう、と思いました。

たまきさんは公園の入り口で私をみつけると、とてもよろこんで近づいてきてくださいました。
やはり彼女がいなければ、私はこんなにこの公園になじめなかったかもしれないな…
上のお姉ちゃんも近づいてきて、私の娘の手をとって
「一緒に遊ぼう!」
といってくれました。

お姉ちゃんは娘をブランコに連れて行ってくれました。

そのブランコには…
たまきさんの妹さんがロープで縛り付けられていたのです。

無我夢中で私は娘を抱きかかえ、妹さんのロープをといて、ブランコからおろしました。

「たまきさん、あなたはとってもいいひとだけれど、どうしてこんなこと見過ごせるの!?
お姉ちゃんがかわいくても、妹さんのことをいじめるのをほうっておいていいと思ってるの!?」

ひどい剣幕で怒る私を、公園中の人たちが見ていました。

「やっぱりおかしいわね…。」

その言葉はたまきさんではなく、私に向けられていました。

どうして…?

私が新参者だから?

私がシングルマザーだから?

「たまきさんも、もうよしましょう。」

「そうよ、初めから変わってると思ってたけど、ちょっと異常よ」

「そうね、毎日人形を連れて公園に来るなんて、おかしいものね。」
【2009/12/10 16:02】 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
富山人限定記事
記事を更新しないと日記が消える(?)ようなので更新します。

でも忙しいので超適当に書きます。

富山県民チェック的な拾い物をしたので紹介します

はっきりいって富山県民以外は楽しめませんのでご了承ください。。。

私チョイスのみのせてます

ちなみに私がいまだに苦労する異文化は『言葉』と『見栄』です。
言葉はまったく違いますし、通じてないことさえ気づきません。
見栄に関しては、見栄をはらないとおかしいっていうか、すごく武士的なくらいに見栄が大事って言うか、つまりひとに弱みを見せる=切腹くらいの考え方ですので、それをなくすのはとても苦労します…。

--------------------------------------------------

<<言葉系>>

● 歌の一番二番のことを一題目ニ題目という。
● ケンカをするときは「だら!」が常套句だ。
→もしくは『だらぼつ』
● 否定する時は「な〜ん」と極自然に出てしまう。
→な〜んが通じなかった時、自分の中で革命がおきました。
● 自転車のことを『じでんしゃ』と発音してしまう。
● 活きの良い魚を「きときと」と表現することが他県でも通じると思っている。
● はまちのことをふくらぎというが、回転寿司でははまちという。
→ふくらぎって、魚売ってるパックにも書いてあるしね。
● テストやボーナスは「あたる」ものだ。
→『もらう』=『あたる』です。
● 「はがやしい」のニュアンスを表現できる標準語がないので、つい使ってしまう。
→『こちょがっしい』もね。
● 「だやい」もしかり。
→『しんどい』もつかえますが、もっと無気力なしんどいが『だやい』なんです。
● 『を』はちいさい「お」、『お』は大きい、「お」、と呼んでしまう。
→そうじゃないの?じゃなかったらどうやって説明するの?

<<文化系>>

●  富山県民の歌がソラで歌える
→『ブリの歌』もね。
● 味噌といえば、もちろん、雪ちゃんの『日本海みそ』だ。
→ゆきちゃんかわいすぎです。
http://www.youtube.com/watch?v=RRaj8x9W990
● YKKは何の略かを知っている。
● 車庫にタイヤを積んでおいてロシア人に盗まれた、もしくは盗まれた知り合いがいる。
→外国人は、船に乗るロシア人かブラジル人、そしてパブで働くフィリピン人です。
● いくつになっても、出身大学よりも出身高校を聞かれる。
→おかげで富山で就職にこまりません
● 小学校の運動会でおわらを踊ったことがある。
● 『コキリコ節』が、かつてNHK『みんなの歌』で流れていた時期があったことがひそかな自慢だ。
● 県民として、当然『コキリコ節』は踊れる。
→保育園の時踊っている映像があって、のんちゃんに見せてすごく笑われました。ちなみにもんぺはいてました。
http://www.youtube.com/watch?v=MJmBCBfdtEo&feature=related
● 積雪50cmくらいではうろたえない。
● JR線を汽車、富山地方鉄道を電車と使い分けている。
→全部汽車ですよ。路面電車はちんちん電車です。

<<生活系>>

● 富山湾で蜃気楼を見たことがある。
→家から毎日見えます。立山も毎日見えます。
● 冬になると「弁当忘れても傘を忘れるな」をかたくなに守っている。
→雨も雪も多いです。
● 正直いって耕運機は邪魔だ。
→餅つき機もです。基本家には蔵があります。
● 流しのタクシーに乗ったことがない、「ハイヤー」が基本。
→タクシーは『電タク』。水曜どうでしょうでめっちゃつっこまれました。
● 塾は育英だった。
● コンビニといえばホットスパーだ。
● 駅弁はやっぱり「ますのすし」を買ってしまう。
→まるまる食べても飽きない奇跡の味
● 冬の初頭に雷がなると、「ブリ起こしの雷がなった」と心が躍る。
→実際、嵐の後に大量のブリがあがるんですよ…
● 家庭に常備薬が豊富にあるので、なんでも薬で治そうとする。
→普通に薬は薬箱に常に一杯あるものだと思ってました。未だに中身を新しくしてくれる、薬売りさんが毎年くるのです。

<<県民性格系>>

● 持ち家にこだわる。家を持って一人前だと思っている。
● 家を建てたお披露目は、一族郎党、県外の親戚もすべて呼びつける。
● その人の家が見たい為に、葬式に参加したことがある。
● 仏壇が金ぴかで派手だ。
→つまり、見栄がなによりも大事なんです。

● 金沢には強い敵対心があり、なにかと金沢を意識してしまう自分が悔しい。
● 金沢には馬鹿にされていると思うが、福井よりは勝っていると思ってる。
→本当に金沢がいつも引き合いに出されますが、まったく勝負にならない富山の完敗だというのが事実です。

● 真面目で我慢強いが常に腹に一物ある。
● 人に遅れをとったり負けたりするくらいなら死んだほうがましだ。
● やけに保守的だ。
→本当に情けないくらい、見栄っ張りな県民なんです。

---------------------------------------------------

その他の県民についてはこちらからチェックできます。

http://www.linkclub.or.jp/~keiko-n/go.html/gototi.html
【2009/12/05 12:48】 日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
おそろしい、いろいろなこと
最近の恐ろしいこと。それは自分のことではなくて、人のこと。

人が怖い、というのではなくて、人がふしぎで、おそろしい。

2週間前に学校が終わって、何もしないでおこうと思って実際に何もしない時間を与えられて、普段は目をそらしてもいいことに目が向いてしまう。

ひとのなにがふしぎか。もちろん、ひとのこころがふしぎ。

私がよく実感する神様という捉えがたいものに対する説明に、こんなものがある。

私はDNAだとか、細胞内のほんの些細な物質の分泌・移動、ほんの些細な電気信号など、そういうことについて勉強しているのだけど、
どれだけ勉強しても、私の細胞の動き一つコントロールすることはできない。

私が分裂しろと言わなくても分裂するし、
どうやったらホルモンが分泌されるか知らなくても分泌される。

体が私を知っているのか、私が体を知っているのか。

哲学で体とこころの話はとっても基本的な話題だけど、とにかくどうあれ、神様は私がどのようにつくられて、どの髪の毛がいつ抜け落ちるかもコントロールするというのは事実である。
※しかし、全ての病気が神様によってもたらされるわけではないことも、事実。

そんな私のこころも、後で思えば後悔するようなことにはたらいたり、何であの時はああ感じたんだろう、と常に変化しているもの。
そして、自分ではコントロールすることの難しいもの。

でも、今までに変化しなかったものが、そしてこれからも変化しないとなぜか確信できるものがあった。

それが信仰心。

あくまでも宗教ではないけれど、
神様はどんな存在で、どんな風に影響しているのか。
どんな決断を自分が下すべきかの基準となるものとして捉えてきた。

そして、それは自分の中ですごくしっかりしているとおもう。

たぶん、なぜかというと、信仰は感情でもなく、理屈でもなく、決断であると思ったから、
人生におけるそう多くない決断のなかで、もっとも大事な決断を正しくすることができたと自分でも満足しているからだと思う。

そんな私の決断における信仰心が、隣のひとの信仰心となにがちがうのか。

たぶん、相手も同じような決断を伴って、いろんな犠牲を払ってこの決断をしたはず。

でも、失うのだ。

50年クリスチャンをしていても、あるひとつの出来事から神様を否定するひとに変わる。

クリスチャンホームで生まれ育っても、社会に出れば失う。

去年洗礼を受けた人が、今年は立派な無宗教家。

教会で一生懸命奉仕した人が、教会批判家に変わる。

こんな例を、ここ数週間でみたんだから、神様の技はふしぎだ。

今同じ教会で礼拝するあのひとが、来年にはいなくなってるかもしれない。

そんなおそろしさがある。

ちなみにこの恐ろしさには答えはない。

責めようと思えば、『弱かった』『覚悟が足りなかった』などとどうにでもいえるけれども、それだけが答えではないと思う。

また、解決策もない。

自分が、どうしてこうやって数年間信仰を保ててきたか、自分でもわからないし、純粋に感謝だとおもう。

でも、どうやったら生涯クリスチャンで生きれるかという法則なんてない。

来週から、アメリカにリトリートに行こうと思っている。
それは、ミッショントリップなんていう大それたものではなくて、ただのリラックス休暇。

そこで出会うクリスチャンから何を学ぶだろう。

若者たちがあつまる、特殊なイベント。

今の世代の若者のクリスチャンは、今までとはちょっと違っているということを感じているし、実際にそういった目に見える成果もたくさん残してきている。

ちょっとでもいい刺激になればとおもう。

たぶん、私はひとりで燃えすぎたんだと思う。

誰かが油を注いでくれなければ、

風から守ってくれなければ、

私も信仰を失うクリスチャンになってしまうかもしれない。
【2009/08/11 01:35】 教会 | トラックバック(0) | コメント(1) |
Africa




太鼓の音が響き渡る今夜

彼女に聞こえるのは乗客のささやき声だけ

12:30の便で彼女はやってくる

月に照らされた羽は星明りを映し、心が救われるよう

道の途中で老人を呼び止めたのは

太古のメロディーにある忘れられた言葉をもとめていたから

老人はなにか言いたげに振り向いた

『急げ、青年よ。そこで何かが待っている』




僕を君から引き離せるものか

たとえ数百人の男が力をあわせたとしても

アフリカに降る雨に祝福を

はじめてのことには時間がかかるものだ




野犬の鳴き声が響き渡る今夜

少ない仲間を失わないよう恐れていきているのか

それでも正しいと思うことを選び取ろう

寂しきケニアにそびえたつ手足もないキリマンジャロのように

根強い問題への解決法を探して

自分がこんなに変わってしまったことが、自分でもおそろしいよ

-----------------------------------------------

カナダの音楽番組でながれるKarl Wolfのこの曲をきいて、
どっかで聞いたことあるような…と思ったら、
Totoというグループのカバーだったんですね。

あまりにも懐かしかったので訳してみましたが、
正直、Totoの歌うほうを聞いてなかったら訳わかんなかったと思います。

このラッパー的な、クラブで酒のみまくりそうな白人のにーちゃんがこの詩を書いたなんて想像できなかったから。

私の訳があってるかは微妙ですが、つまり
アフリカのために働いている人が彼女を思って書いた歌。
彼女との愛を信じてるけど、とにかく自分はアフリカの人を救うという夢を優先させたいんだ〜っていう感じなんだと思います。違ってたらすいません。
最初は何かの比喩で、もしかしたらアフリカってまったく関係ないのかな?とも思ったのですが、
たぶんTotoの時代背景があるんなら、そのままアフリカの探検家・ボランティアの人の歌でいいと思います。

それにしても日本のミュージックシーンに比べて、北米の音楽はやっぱり違いますよ〜

その分駄作ももちろんおおいし、一発屋も多いし、
売れるためならエロ大歓迎ってかんじの側面も確かにありますが、
ショーとして純粋に楽しめる、
コンテスト・ランキング・アワードも多いから競争心が生まれて切磋琢磨してる
っていうのが北米音楽かな〜って感じです。

日本帰ったらスカパーなしでは生きられなくなってるかも。。。
【2009/07/16 22:44】 英語歌詞訳 | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム | 次ページ